まぼろしは乾かない SACOYANS Gasoline Rainbowに寄せて

 このブログで一番アクセス数の多い記事は昨年書いたSACOYANSの1stアルバム、Yomosueに関するものだ。

 

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 それ以外の記事に関してはまあ特に検索で引っかかる要素もない個人的な日記やヘルダーリン鈴木いづみクリシェばかりだから当たり前といえば当たり前なのだが、この記事に対してはSACOYAN本人からうれしいコメントがあった。

 

 

 なんという名誉!かくして私はSACOYANSの公認ライナーとなったのであった。

 

 さて、そんなSACOYANSの2ndアルバムGasoline Rainbowがリリースされた。公認ライナーとしてはこのアルバムについてもレビューせねばなるまい。先に言っておくが当然ながら最高のアルバムである。

 

M1. 素敵な11月

 リードトラック。SACOYANが音楽活動を休止する前の最後にアップロードされた曲。この季節にぴったりで、11月といえば私の愛するGRAPEVINEのDry November、もっと言えばThe Novembersというまさに11月バンドもいるわけなんだけど、それらと並んで私の中でも毎年11月が楽しみになるアンセムになるであろう曲。いつかのMCで「彼女の音楽人生におけるレクイエム」ということを言っていたようにこの曲で彼女は表舞台から一度姿を消してしまう。「深夜のおばけが ピックを隠す」なんて、当時の彼女の心境を窺い知れるような歌詞が切ない。

 

M2. 家

 SACOYANが母に捧げる先行配信曲。ギリギリとしたギターの緊張感から彼女が暮らした家の思い出ひいては母への想いが爆発する。昔からある曲だがSACOYAN曰く「Nirvanaみたいになった」。

 

M3. 読み解いて

 大まかにいえばドリームポップ、ただただ美しい。あまり他のバンドと比較するのはナンセンスだと思いつつ、前作のレビューでsyrup16gを引き合いに出してしまったのでついでに言わせてもらうと、サイケデリック後遺症のような浮遊感が大好き。本人的には歌詞とメロディが同時に振ってきたミラクル曲らしい。天才に降ってくるなんてそりゃいい曲に決まってる。

 

M4. 海水三昧

 これは昔からある曲。demo版ではさわやかなポップだったがバンド版だとSonic Youth風味(本人談)の不協和音的なアレンジになっている。素敵な11月と海水三昧を同じアルバムに収録するのは彼女なりのユーモアか。真夏の極楽を私にも。

 

M5. ゴーストワールド

 このアルバムで一番といっていいほどポップ。活動再開後の曲。「出口がそれぞれ変わっていく 私たちわかってて 同じ思い出を買っていく」なんて全てのティーンエイジャーに刺さる歌詞。現在28歳の私にも刺さっちゃう。個人的ラブリーサマーちゃんにカバーしてほしい曲1位。飯塚大吾さん、バラエティー番組のエンディングなんかでどうですか。

 ちなみにSyrup16gには同名映画をモチーフにした「透明な日」があるのでそちらもぜひ(またSyrup16gの話をしてしまった)。私もこの映画は大好きです。

 

M6. SF

 SFの名を冠しながらも様々な映画からの引用が印象的な一曲。シリアル・ママを見て爆笑させていただきました。ゆくゆくは元ネタの映画全部見たい。(ちなみにSACOYANはSweet Novemberはまだ見てないらしい。)これでもかというほど詰め込んだAメロの展開が大好き。

 

M7. ヘイジョーク

 みんな大好き!谷川俊太郎の言っていること全部愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる。

 

M8. 地獄の星

 完全新曲。私は大好きだ。変拍子気味のAメロから流れるようなBメロの心地よさがたまらない。今までの曲のストックもたくさんあるはずなのに完全新曲が聞けるなんてファンとしては幸せの極致でございます。

 

M9. まぼろし

 素敵な11月を最後に音楽活動を休止していたSAOYANが突如発表した、亡くなった父に捧げる曲。アルバムタイトルのGasoline Rainbowはこの曲の英語版タイトルから取ったもの。SACOYANの英語センスはいつも素敵。これに関しては私が生半可なレビューをしていいような曲ではない。再三syrup16gを引き合いに出してしまって申し訳ないが彼らにも「夢からさめてしまわぬように」という亡くなった父に捧げるアンセムがある、家と合わせてこのアルバムはきっと家族に捧げるものでもあるのだろう。

 

M10. のみものを買いに行こう

 Animal CollectiveのFirewoksを目指して作られた曲。それでも単なるクリシェにならずSACOYANらしいポップなオルタナに仕上がっている。だいじょうぶだいじょうぶの連呼は今までのSACOYANの苦難を感じさせるし、そのことによって説得力が深まる一節に仕上がっている。君も虫になればいい!ライブで聞いた時も思いましたがこの曲のみわこさん腕四本ありますよね!?

 

 以上全10曲のレビューでございました。こんなことは他の人もやってくれるだろうと思いつつ現状やってるのは自分くらいなのでとりあえずまとめました。まあ要するに最高のアルバムだと言うことです。それは何よりSACOYANのソングライティング能力があるし、経験豊富なバンドメンバーの技量も大きなウェイトを占めている。ここは本当に今更書くことでもないが毎回感嘆してしまう。

 

 まあ長々と語ってしまいましたが、私がSACOYANSに望むことはただ一つ。今回も最高のアルバムをありがとうということ。そしてあなたたちが末永く愛される存在になってほしいということ。あなたたちはきっと誰かの心の支えになってくれるようなバンドになっている。少なくとも私にとっては心の奥にそっとしまっておきたくなるような大切なアルバム。このバンドのファンはみんなきっとシャイだからあまり言わないけど。

邂逅(2013/5/6のメモ)

 中都市Kにある、大学に接するやや細い道を、自転車がのんびりと進んでいた。自転車に乗った少年は、いつものように歌を口ずさんでいた。少し先にバス停があり、見やると、帽子をかぶった中年ほどの女がバスを待っている。少年は少しそちらを見て、そのまま通り過ぎようとした、その時であった。

 「すみません。」

 思いもかけなかった呼び声に少年は思わず自転車を降りて、小さく

 「はい。」

 などと返事をしてしまった。大方道でも尋ねられるのだろうと思った。

 「Y区に住んでおります、Oと言うものですが…。」

 何を言われるかについて少年は予想もつかなかったが、とにかく、しまったな、と思った。ただ道を尋ねるだけならば、名乗る必要はないはずである。これは何か面倒なことに巻き込まれそうだということは少年にも予想がついた。しかし、今更通り過ぎるのも良心が痛むような気がしたので、ひとまずそのまま話を聞くことにした。女の要求は非常に単純なものであった。

 「すみませんが、今お金がないもので…、いくらか貸していただけないでしょうか…必ず返しますので。」

 そう言うと女はかぶっていた帽子をとって頭を下げた。帽子の下は恐ろしいほどに禿げあがっていた。少年はこれまで、他人の容貌を、基本的には、識別用の特徴として捉えるのみで、そこに個人的な感情を抱くことは稀だったのであるが、これほどまでに禿げあがった女性を見るのは初めてで、突如として現れた禿げ頭は、少年には不意に襲ってきた怪物の様に思われた。よく見ると、なるほど醜い顔である、皺は多く髪は汚く乱れて、歯並びも非常に悪い。遠目にはほとんど男性にも見えるほどだった。言動もはっきりとはしているが、まるで老婆である。この風貌では仕事にも就けないだろう。ならば収入がないのも無理のないことだ、と少年は思った。

 「あの、千円か、駄目なら五百円でもいいので。」

 女はさらに要求してくる。なんという図太さであろうか、常習犯に違いない、貸したものが帰ってくる保証はまずないだろう。いや、そもそも貸す必要はないのだ、このまま帰るのが正しい行動のはずである。しかし、少年は動けなかった。憐みの気持ちが働いたのかもしれないし、老婆の事を恐れたからかもしれない。とにかく、気がつくと少年は財布を取り出し中身を確認していた。財布の中には千円札と五百円玉が一枚ずつ入っていた。この女にわざわざなけなしの千円札を渡す義理はないだろう、少年は五百円玉を取り出して女に手渡す。

「ありがとうございます、このお金は必ず返しますから。」

 一体どのような方法で返そうというのか、相手はこちらの事を何も知らないというのに。そもそも五百円も持たずにバス停で何を待っていたのだろうか。しかしそれも今となってはどうでもいいことだった。

「いえいえ。」

 などと適当に返事をすると、少年は再び自転車に跨り下宿へと向かう坂道を登り始めた。女は連絡先を交換しようとする素振りもしなかった。結局のところ、自分は見ず知らずの他人に財産を贈与した善良な人間ということになる。心には少しの憎悪と、思い上がりが満ちていた。

SACOYANS、Yomosueに寄せて。syrup16gとの比較検討

 SACOYANさんがSACOYANとしての活動を始めたのは2010年くらいの事らしい。その前にもいくつかのバンドや名義で活動していたという情報もあるが、今のスタイルが確立されたのはやはりSACOYANになってからのことだろう。

 SACOYANさんは現在福岡在住だが、どうも東京生まれ東京育ちらしい。「のみものを買いにいこう」という曲はSACOYANが東京を出て一度逃げ出した時の曲だと公言している。その後一時的な活動休止期間を挟んだ彼女は「まぼろし」というこれまた名曲を引っ提げて帰ってくる。私たちが見ているのはそれ以降のSACOYANの姿だ。

 私がSACOYANさんのことを知ったのはせいぜい数年前の事である、活動再開直後くらい。ツイッターのフォロワーでありシンガーソングライターのheronさんから、私のイメージソングとして「ビタミンDがふえて」を選んでいただいた。それがきっかけでSACOYANさんの他の宅録音源も聞きあさるようになっていった。基本的には一人で音楽を作って、YouTubeニコニコ動画Soundcloud、フリーダウンロードのメディアファイルなどの形式で発表する。そんな内向的な活動がメインだったが、発表された曲がどれもすでに素晴らしいということは聞いていただければすぐにわかると思う。

 そんなSACOYANさんがバンドを組んだと聞いたときは驚いた。しかも全国流通版のレコーディングをしているらしいとは。その名もSACOYANS、そしてアルバム名はYomosue。令和も始まったばかりだというのにですよ、お姉さま。

 そしてYomosueの内容がやはり素晴らしい、もともといい曲が軸としてあったわけなんだからバンドの厚みを足してよくならないわけがないのですがどれも本当にいい曲です。

1.偉大なお告げ…2012年ごろにはあった曲らしくライブ映像で演奏しているのを確認できる。今作品のリードトラックでみんな大好きなあの頃の浮遊感あふれるオルタナにSACOYANの天性のメロディーセンスに気だるく透き通る歌声が乗ればもう完璧。

2.音楽の天才…最初期からある名曲にして代表曲。うざいでしょーなんて言っちゃうけど本当に天才だからしょうがない。

3.ニベア…新曲。アルバムの先行シングルとして配信された。JKとか既に人気のある曲もある中で新曲を先行シングルにするというのは自分への自信とリスナーへの信頼の表れ。ついつい口ずさんじゃいます。

4.わたしの窓辺…昔からある曲、正直今まであまり印象はなかったけど歌詞を見て日本語の美しさに驚いた。SACOYANの歌詞はどれも好きだけど、美しさという観点からだとこの曲から広がる情景は格別のもの。

5.だれでもしっかり見ているよ…これもまた往年の名曲。轟音に乗って歌と朗読を自由に行ったり来たりする流れが気持ちいい。デモ版と比べると元気で真っ直ぐな陶酔を味わえる。

6.食卓の間…新曲。疾走感の中に家庭の暖かさが感じられる。SACOYANは変わった構成の曲が割と多くてこの曲もAメロ→Bメロ→サビ→間奏→サビ。このあたりはGRAPEVINEパイセンっぽいけどよりどこを歌っているのかわからない不思議な感覚。

7.JK…大名曲、Twitterにて「数多の人間の人生を狂わせた…」と評したところライブのMCにて引用していただいたようで照れ臭い。でもそれに値する名曲、JKとは「ジュンコ」という友人の名前を表わしているとのこと。問答無用で聞いて泣け!

 

 さてここからが本題。というよりもむしろ蛇足。私の音楽遍歴を語るに当たって外せない話題がある。syrup16g、ひいては五十嵐隆の存在である。彼もまた家に引きこもり、自分の好きな音楽を作って日々を暮らしていた。そんな「好きな音楽を好きなだけやる」という甘ったるい幻想の上に出発したのがsyrup16gである。私がSACOYANの曲を聴いている時、いつも五十嵐隆のことを思い出してしまう。音楽的なバックボーンは元より、シンプルなコードからどんどんメロディーが出てくる様子(時にはまったく同じコードから全く別の曲が生まれてくる)内向的な人間がミュージシャンとしては遅咲きとも思える年齢で思い立ってバンドを結成したところ。共通点はいくつもある。だから私はYomosueリリースパーティーでSACOYANさんが五十嵐隆と同じ赤のギブソンを持ち出してきた時にあまりにも驚いて椅子からひっくり返ってしまった。

 それだけではない、YomosueというアルバムがSACOYAN時代の曲をバンドバージョンにリアレンジしてリリースされた作品である以上、これはそのままsyrup16gのDelayedではないか。あちらにはReborn、こちらにはJKという掛け値なしの名曲が収録されている。さらに言えばセンチメンタルにおける「真空管の音が好き 高校生になったら部屋で 毎日ギター弾いてた」はそのまま音楽の天才での「家にこもってなにをしてたかといえば 言わなくても私 音楽の天才」に対比できる。五十嵐隆が我々の10代を狂わせてしまったように、SACOYANSにもまた今の10代の音楽キッズ達を狂わせる力がある。そんな大名盤が令和の初頭に突如として表れてしまったのである。これはもう奇跡というほかない。

 長々と書いてしまったが本当のことを言えば彼女にはもう批評は必要ない(この記事を含めて)、既に全てを乗り越えてからデビューしたのだ。だから外野に耳を傾ける必要もない、それこそ「好きな音楽を好きなだけやる」ということだけでリスナーはきっと受け入れてくれるはずなのである。中村佳穂さんが発した音すべてが音楽になる「音の天才」であるとすれば、SACOYANは音楽が次々と身体から流れ出してくるまさしく「音楽の天才」なのである。誰も邪魔してくれるな、私はそんなありのままの彼女の行方を見守っていきたい。

近づく遠のく

 最近はずっとホラー映画を見ていた、この季節はいつもそうだ。でもずっと酒を飲んでいたからあまり覚えていない。昔はどうやったらアルコールに依存できるのかわからなくて朝から無理矢理に飲んでみたりしていたが、今ではもう日に日に増える一方だ。限りなかったはずの時間はこうやって今日も同じ色に塗りつぶされて行く。

 イーライ・ロスのホステルがよかった、グリーン・インフェルノも。出町座でミッドサマーやアングストを見た。ファウンドも美しかった。でも一番怖かったのは悪魔のいけにえ。意識が近づいたり遠のいたりしている。私がこういった非日常にのめりこむのは生活からの逃避か、或いは現実に身体を繋ぎとめるための最後の手段か。

 昔映画が好きな女の子の家でドリーム・ホームというスプラッター映画を一緒に見たことがある。もう一度見てみたいと思ってNetflixを検索してみたけれど見つからなかった。もう忘れてと言われているみたいで伸ばした手はもう飲み干したビール缶を掴む。空っぽの手応えもまた日々の暗示だろうか。

車輪の下

詩人か、そうでなければ何にもなりたくない。ヘルマン・ヘッセの言葉。

  

 「よくある話よ」と母親は言った。「エリート被れが挫折して田舎に戻ってくるなんて、そんなものを気取っているつもりなの?」20歳の頃だっただろうか、これもたぶん夏休みに帰省していた時の話。私は少し前に車輪の下を読み終わったところで、心を見透かされたような居心地の悪さがあった。細かいことはあんまり覚えていない。私は私が何者かになることを恐れていた。彼女もまた若い頃はヘッセの読者であったのだろう。

半年前

 いかに退屈であろうとも、この外に花はない。

 きっとそうでしょう。では人を愛する能力に欠けてしまった者達は?

 

 疲れました。暮らしがあったって何の意味もないよ、少なくとも主観的には。生きる力がない。本質的にはチューブに繋がれて延命治療を施されている末期患者と変わりないでしょう?

 

 私が本当にわかってほしいことはただ一つで、何でもかんでも好きなわけじゃないよ、ということ。それだけわかってもらえれば十分です。刺激への中毒症状は私を駆り立てるし、その試みは大抵空回りに終わるけど。大体、刺激によって何かを感じるなんて即物的すぎて馬鹿げている。だからといって人間は深い思慮と洞察によって成長していかなければならないなんてそれもまた途方もなく浅はかな話。

 

 鈴木いづみ風に階段を100段落ちる。

 

 私には何の物語もなかったよ。壮絶な半生も、これからの冒険譚も。それでもこうなってしまったのは生まれつきの資質としか言えないし、いつも曖昧な悲しみだけがあった。私の中で才能と言えるのはこれだけ。それを表現する術すら持たないと言うのならばこのままそっと…。まあそれはずっと前からわかっていたことでしょう。

 

 

ーー以上、半年前に認めたらしい下書きの供養。

風化する教室

 本当のことを言えば働くのなんてそんなに難しくないことは知っていて、よくわかんないことで怒られるのだって小学生の時にはもう慣れ切っていたし、自分のできることもできないこともわかっているから、全部通り過ぎて行くだけ。何も考えずに作業していれば時間だってこうして過ぎ去ってしまうし、明日の糊口を凌ぐことだってできる。少し疲れるだけ。

 僕は他人の生活を愛しているし、生活のために働いている人を見るとたまらない気持ちになってしまうのだけど、自分も生活をしているということはいつも忘れていて、今も心のどこかでそれを拒否している。それはとんだ欺瞞だし、乗り越えなければいけないことだ。家計簿アプリを導入したら、今日はあと500円で生活してね、と言われて、ふーん。と思って、煙草と牛乳を買った。

 きのこ帝国を聞いてたら自分もまだ歌を歌っていいのかな、という気持ちになった。