SACOYANS、Yomosueに寄せて。syrup16gとの比較検討

 SACOYANさんがSACOYANとしての活動を始めたのは2010年くらいの事らしい。その前にもいくつかのバンドや名義で活動していたという情報もあるが、今のスタイルが確立されたのはやはりSACOYANになってからのことだろう。

 SACOYANさんは現在福岡在住だが、どうも東京生まれ東京育ちらしい。「のみものを買いにいこう」という曲はSACOYANが東京を出て一度逃げ出した時の曲だと公言している。その後一時的な活動休止期間を挟んだ彼女は「まぼろし」というこれまた名曲を引っ提げて帰ってくる。私たちが見ているのはそれ以降のSACOYANの姿だ。

 私がSACOYANさんのことを知ったのはせいぜい数年前の事である、活動再開直後くらい。ツイッターのフォロワーでありシンガーソングライターのheronさんから、私のイメージソングとして「ビタミンDがふえて」を選んでいただいた。それがきっかけでSACOYANさんの他の宅録音源も聞きあさるようになっていった。基本的には一人で音楽を作って、YouTubeニコニコ動画Soundcloud、フリーダウンロードのメディアファイルなどの形式で発表する。そんな内向的な活動がメインだったが、発表された曲がどれもすでに素晴らしいということは聞いていただければすぐにわかると思う。

 そんなSACOYANさんがバンドを組んだと聞いたときは驚いた。しかも全国流通版のレコーディングをしているらしいとは。その名もSACOYANS、そしてアルバム名はYomosue。令和も始まったばかりだというのにですよ、お姉さま。

 そしてYomosueの内容がやはり素晴らしい、もともといい曲が軸としてあったわけなんだからバンドの厚みを足してよくならないわけがないのですがどれも本当にいい曲です。

1.偉大なお告げ…2012年ごろにはあった曲らしくライブ映像で演奏しているのを確認できる。今作品のリードトラックでみんな大好きなあの頃の浮遊感あふれるオルタナにSACOYANの天性のメロディーセンスに気だるく透き通る歌声が乗ればもう完璧。

2.音楽の天才…最初期からある名曲にして代表曲。うざいでしょーなんて言っちゃうけど本当に天才だからしょうがない。

3.ニベア…新曲。アルバムの先行シングルとして配信された。JKとか既に人気のある曲もある中で新曲を先行シングルにするというのは自分への自信とリスナーへの信頼の表れ。ついつい口ずさんじゃいます。

4.わたしの窓辺…昔からある曲、正直今まであまり印象はなかったけど歌詞を見て日本語の美しさに驚いた。SACOYANの歌詞はどれも好きだけど、美しさという観点からだとこの曲から広がる情景は格別のもの。

5.だれでもしっかり見ているよ…これもまた往年の名曲。轟音に乗って歌と朗読を自由に行ったり来たりする流れが気持ちいい。デモ版と比べると元気で真っ直ぐな陶酔を味わえる。

6.食卓の間…新曲。疾走感の中に家庭の暖かさが感じられる。SACOYANは変わった構成の曲が割と多くてこの曲もAメロ→Bメロ→サビ→間奏→サビ。このあたりはGRAPEVINEパイセンっぽいけどよりどこを歌っているのかわからない不思議な感覚。

7.JK…大名曲、Twitterにて「数多の人間の人生を狂わせた…」と評したところライブのMCにて引用していただいたようで照れ臭い。でもそれに値する名曲、JKとは「ジュンコ」という友人の名前を表わしているとのこと。問答無用で聞いて泣け!

 

 さてここからが本題。というよりもむしろ蛇足。私の音楽遍歴を語るに当たって外せない話題がある。syrup16g、ひいては五十嵐隆の存在である。彼もまた家に引きこもり、自分の好きな音楽を作って日々を暮らしていた。そんな「好きな音楽を好きなだけやる」という甘ったるい幻想の上に出発したのがsyrup16gである。私がSACOYANの曲を聴いている時、いつも五十嵐隆のことを思い出してしまう。音楽的なバックボーンは元より、シンプルなコードからどんどんメロディーが出てくる様子(時にはまったく同じコードから全く別の曲が生まれてくる)内向的な人間がミュージシャンとしては遅咲きとも思える年齢で思い立ってバンドを結成したところ。共通点はいくつもある。だから私はYomosueリリースパーティーでSACOYANさんが五十嵐隆と同じ赤のギブソンを持ち出してきた時にあまりにも驚いて椅子からひっくり返ってしまった。

 それだけではない、YomosueというアルバムがSACOYAN時代の曲をバンドバージョンにリアレンジしてリリースされた作品である以上、これはそのままsyrup16gのDelayedではないか。あちらにはReborn、こちらにはJKという掛け値なしの名曲が収録されている。さらに言えばセンチメンタルにおける「真空管の音が好き 高校生になったら部屋で 毎日ギター弾いてた」はそのまま音楽の天才での「家にこもってなにをしてたかといえば 言わなくても私 音楽の天才」に対比できる。五十嵐隆が我々の10代を狂わせてしまったように、SACOYANSにもまた今の10代の音楽キッズ達を狂わせる力がある。そんな大名盤が令和の初頭に突如として表れてしまったのである。これはもう奇跡というほかない。

 長々と書いてしまったが本当のことを言えば彼女にはもう批評は必要ない(この記事を含めて)、既に全てを乗り越えてからデビューしたのだ。だから外野に耳を傾ける必要もない、それこそ「好きな音楽を好きなだけやる」ということだけでリスナーはきっと受け入れてくれるはずなのである。中村佳穂さんが発した音すべてが音楽になる「音の天才」であるとすれば、SACOYANは音楽が次々と身体から流れ出してくるまさしく「音楽の天才」なのである。誰も邪魔してくれるな、私はそんなありのままの彼女の行方を見守っていきたい。