邂逅(2013/5/6のメモ)

 中都市Kにある、大学に接するやや細い道を、自転車がのんびりと進んでいた。自転車に乗った少年は、いつものように歌を口ずさんでいた。少し先にバス停があり、見やると、帽子をかぶった中年ほどの女がバスを待っている。少年は少しそちらを見て、そのまま通り過ぎようとした、その時であった。

 「すみません。」

 思いもかけなかった呼び声に少年は思わず自転車を降りて、小さく

 「はい。」

 などと返事をしてしまった。大方道でも尋ねられるのだろうと思った。

 「Y区に住んでおります、Oと言うものですが…。」

 何を言われるかについて少年は予想もつかなかったが、とにかく、しまったな、と思った。ただ道を尋ねるだけならば、名乗る必要はないはずである。これは何か面倒なことに巻き込まれそうだということは少年にも予想がついた。しかし、今更通り過ぎるのも良心が痛むような気がしたので、ひとまずそのまま話を聞くことにした。女の要求は非常に単純なものであった。

 「すみませんが、今お金がないもので…、いくらか貸していただけないでしょうか…必ず返しますので。」

 そう言うと女はかぶっていた帽子をとって頭を下げた。帽子の下は恐ろしいほどに禿げあがっていた。少年はこれまで、他人の容貌を、基本的には、識別用の特徴として捉えるのみで、そこに個人的な感情を抱くことは稀だったのであるが、これほどまでに禿げあがった女性を見るのは初めてで、突如として現れた禿げ頭は、少年には不意に襲ってきた怪物の様に思われた。よく見ると、なるほど醜い顔である、皺は多く髪は汚く乱れて、歯並びも非常に悪い。遠目にはほとんど男性にも見えるほどだった。言動もはっきりとはしているが、まるで老婆である。この風貌では仕事にも就けないだろう。ならば収入がないのも無理のないことだ、と少年は思った。

 「あの、千円か、駄目なら五百円でもいいので。」

 女はさらに要求してくる。なんという図太さであろうか、常習犯に違いない、貸したものが帰ってくる保証はまずないだろう。いや、そもそも貸す必要はないのだ、このまま帰るのが正しい行動のはずである。しかし、少年は動けなかった。憐みの気持ちが働いたのかもしれないし、老婆の事を恐れたからかもしれない。とにかく、気がつくと少年は財布を取り出し中身を確認していた。財布の中には千円札と五百円玉が一枚ずつ入っていた。この女にわざわざなけなしの千円札を渡す義理はないだろう、少年は五百円玉を取り出して女に手渡す。

「ありがとうございます、このお金は必ず返しますから。」

 一体どのような方法で返そうというのか、相手はこちらの事を何も知らないというのに。そもそも五百円も持たずにバス停で何を待っていたのだろうか。しかしそれも今となってはどうでもいいことだった。

「いえいえ。」

 などと適当に返事をすると、少年は再び自転車に跨り下宿へと向かう坂道を登り始めた。女は連絡先を交換しようとする素振りもしなかった。結局のところ、自分は見ず知らずの他人に財産を贈与した善良な人間ということになる。心には少しの憎悪と、思い上がりが満ちていた。