半年前

 いかに退屈であろうとも、この外に花はない。

 きっとそうでしょう。では人を愛する能力に欠けてしまった者達は?

 

 疲れました。暮らしがあったって何の意味もないよ、少なくとも主観的には。生きる力がない。本質的にはチューブに繋がれて延命治療を施されている末期患者と変わりないでしょう?

 

 私が本当にわかってほしいことはただ一つで、何でもかんでも好きなわけじゃないよ、ということ。それだけわかってもらえれば十分です。刺激への中毒症状は私を駆り立てるし、その試みは大抵空回りに終わるけど。大体、刺激によって何かを感じるなんて即物的すぎて馬鹿げている。だからといって人間は深い思慮と洞察によって成長していかなければならないなんてそれもまた途方もなく浅はかな話。

 

 鈴木いづみ風に階段を100段落ちる。

 

 私には何の物語もなかったよ。壮絶な半生も、これからの冒険譚も。それでもこうなってしまったのは生まれつきの資質としか言えないし、いつも曖昧な悲しみだけがあった。私の中で才能と言えるのはこれだけ。それを表現する術すら持たないと言うのならばこのままそっと…。まあそれはずっと前からわかっていたことでしょう。

 

 

ーー以上、半年前に認めたらしい下書きの供養。