風景とリズム

 ぼんやりと窓の外を眺めていたけれど、思うところが何もなかった。風景の才能がない。例えば夜道の街灯に何かを見出すようなことは、よほどうまくやらない限りそれ自体の凡庸さを免れ得ない。極端な話をすれば、トンネルを抜けた先が雪国じゃなくても別にいいじゃないかと思う。

 文章においてリズムをどうとるかというのは、思想の深い部分に対応していると思う。句読点の打ち方が自分でもわからなくなるような文章を書いているとき、私は最悪の気分だ。ジョン・アーヴィング(あるいは翻訳の筒井正明氏)のリズムが好きだ。そういえば小さい頃は、車の外を等間隔で流れて行く電柱が好きだった。