10/25

 2週間前からストラテラを飲み始めたのだが、あえなく鉄柱に激突し、顎をやられた。頭が変な感じだ。

 夕方の話。高島屋の横の喫煙所で煙草を吸っていたら老人に話しかけられた。かなり酔っている様子で、自転車を何処に停めたのか思い出せないらしい。俺にも一本くれと言うので渡すと、手に百円玉を握らされた。老人と言っても両親より一回り上くらいなのでそれほど老いているという感じではなかったが、まあどちらかといえば老人だろう、言ってしまえば両親もそろそろ老人なのだ。長崎の生まれで、20歳の時に船で岐阜に来たのだとしきりに言っていた、私は客船が長良川を遡って岐阜までやってくる様子をなんとなく想像してみた。実際のところ名古屋からは電車で来たというようなことを言っていた。ほら俺は中卒じゃん?みたいなことを何度か言われたが、知らない。なぜならば知らない人だからだ。老人はあと家に泊めたホームレスの話と、東京六大学野球の話をしていた。六大学野球に関しては加盟している大学の名前を思い出せるくらいだ、明治大学を思い出すのに手間取った。長嶋茂雄立教大学王貞治早稲田実業高校。私は教養について少し考えた。ホームレスが毎日何処からか酒を持って帰ってくる話がおもしろかった。

 そのあと煙草をもう一本くれと言われたので渡すと、今度は五十円玉をポケットにねじ込んできて、さっきと同じ話をもう2回くらいして帰っていった。私はローソンでLチキを買った、辛いやつ。160円だった。

退屈に関する考察

 枠を目掛けて石を投げこんでみる。枠の中には何本かの線が置かれていて、その内部を幾つかの部屋に分け、格子模様を作り出している。さらにその中の幾つかの部屋では既に投げた石が場所を取っている。投げた石は枠の中の新しい場所に落ちたり、あらぬ方向に飛んで枠の外へと消えて行ったり、あるいは元あった石とぶつかってそれを弾き出したり、あるいは弾き出されたりしている。見たところある程度の部分はもう埋まっている様だ。空いている部分に狙いを定めて石を投げたが、軌道は少し逸れ、隣の石とぶつかって、思っていたのとは違うところに落ちた。石を投げる、という動作が一定の時間ごとに繰り返されるものだとしたら、残りの空白が少なくなるに連れて次の空白を埋めるまでに必要な石の数、そして所要時間は飛躍的に増大して行くだろう。空白が多い間はどこに投げても石は概ねどこかに場所を占めることができたが、今となってはじっと狙いを定めても枠の中に収まることは殆どなくなった。わざと他の石を狙って投げてみたり、空白に気づかないフリをして出鱈目な方向に投げてみたりもしてみたが、結局のところ大した違いはないのだろう。

symmetry / fractale

 コクトー・ツインズを聞きながら、ポール・オースターを読んでいたら朝になっていた。これは嘘で、今は昼間もいいところだ。オースターも本当はほとんど開きっぱなしのままで、幾頁も進んでいない。どうやら疲れているみたいだ、いつもこうなってから疲れに気づく。それでも目を凝らして文字を追っていると、なんとなく地上的なイメージが浮かび上がってくる。ニュー・ヨークの地下鉄。それから真っ白な水面に落ちる水滴と、広がっていく銀の波紋。こっちは多分耳から入ってくるイメージだ、或いは半分くらい夢を見ている。

 

 機はもう熟さないのかもしれない

 

 小説を書こうとして、やめた。断片的な映像と言葉だけが頭の中で無限の膨らみを持ち始める。もう一度耳を澄ますと、Heaven or Las Vegasの最後、Frou-frou Foxes In Midsummer Firesのメロディが流れている。なんてことはない、さっきの地上のイメージは、ここからの対比として思い浮かんだだけだった。二つの反対のイメージはそれでいて不思議と衝突することもなく、朦朧とした頭の中で自然に並行していく。

 

 機はもう熟してしまったのかもしれない

夢を読み解くのにはコツがあって 熊が一頭

熊に注意 そいつは運命を追ってくる

そいつはポンコツの警備員の手によって動物園から放たれて ニヤつきながらこっちに近づいてくる

俺はそいつを確かに撃った そして動かなくなったのを確かめたはずだった

どういうわけかそれでもダメみたいで どうやらそれが運命ということらしい

生きている俺が死んでいるそいつにできることなんてなくて

今こうして俺はついに捕まったところ

音が聞こえる そして遠のく

view (of such a beautiful world)

 雨の空港に私たちは佇んでいた。だんだんと風も強まってきて、恐らく飛行機は欠航だろう。この後に待っているあれこれの手続きのことを考えると私は少し憂鬱を深めた。

 「私たち二人とも、ハタチまでに死ねなかったね」

 彼女はそう言って、私の隣に座った。いつの間にかビールを買ってきていて、一思いにそれをぐいと飲み干す。私にも一缶手渡してくれた。どういう巡り合わせか、私たちは誕生日が同じだ。そして今日、揃って二十歳を迎えたところだった。無数に広がる搭乗口はこの雨の中で逆説的に異様な閉塞感を持っていて、どこへも行けない私たちのことを暗に示している様な気がした。

 彼女はあっという間に酔ってしまって、立ち上がると両手を広げてくるくると回り始めた。なんならわりと大きな声で歌も歌い始めた。いつもそうだ、こうやって好きなミュージカル映画に自分を重ねることが、彼女が孤独に対抗するために見出した武器なのだ。サルトル風に言えば「完璧な瞬間」を求めているというやつなのだろう。よく見ると服も髪型も、いつか教えてくれた映画の登場人物に似ている。そう思うと私はなんだか嗜める気にもならずに、立ち上がってしばらく一緒に踊っていた。日々の退屈と、それに付随する憂鬱からの逃避行という計画は、このようにして、なんとなしの失敗に終わった。

 帰りの電車は風雨の影響でいつもより少しゆっくりだったけれど、なんとか二人の部屋まで返ってくることができた。そのころにはもう酔いも冷めていたけれど、荷物を片付けるのは面倒だった。彼女がシャワーから出てくるのを待って、交代で私もさっとシャワーを浴びた。出てくるころには彼女はもう寝ていた。私も早く寝ようと思って、薬をいつもより少し多めに飲んだ。

 

 目を覚ますと、彼女は出て行くところだった。手には昨日からそのままだったスーツケースを持っている。

 「だって、二十までに死ねなかったら、次は二十七まで生きるしかないじゃない、ロックンロールってそういうものでしょう?それまでは好きに生きることにするわ」

 そんな風なことを言っていた気がするが、よく覚えていない。ドアを閉める音が妙に大きかったことだけは耳に残っている。とにかく、私は残されたみたいだ。私は曖昧な頭のままでしばらくドアを眺めていたが、さっきの言葉を思い出そうとしている内に、再びの眠りに落ちて行った。

mirage

 いつも最後だと思って生きているけど、最後に何かをしようとも思ってないから、今日も少し記憶を増やすだけ。五年前には日々が点で、それを結んでいくと線ができていくようなイメージを持っていて、それはイメージとしては薄れてしまったけれど、最近ではより内面化されてきている様に感じる。

 

 朝起きるとまだ少し風が心地よくて、コンビニに向かう。帰るころにはもう新しい世界がやってきていて、新しいものが苦手な私は少しだけ古い、でもかつては新しかった時代の名残に逃げ込む。

 

 時間だ。気がつくと線はまた少し延びていて、時折それに触れたりして遊んでみる。戯れているわけじゃなく、たまには真剣に。

 

 水を待っている、私は水でできているから。酸素はいつからか配給制になってしまって、でも生きていくには十分な量だ。ずっと昔に打ち捨てられて、朽ちてしまった自販機に並んでいる、色褪せたドリンクみたいなラベルがついたボトルの蓋を開けて、私はせいいっぱい吸う。

バカンスへ

 かくして私は物書きをやめたのであったが(「かくして」の内容についてはご想像にお任せするが、凡夫極まりない私のことであるから、やはり凡夫極まりないあなたの想像が如何様なものであれおおよそ正解だと言える。)、物書きと言っても別に今まで何か物を書いてきたわけではないので、変わりない生活が続くのであった。

 細胞の一つ一つが音を立てて弾けて行きそうな暑さ。暑さを感じたいのならクーラーをつければいい。